「chikirin日記」からみる【ちきりん流 自分メディアの育て方】
無名の会社員だった著者・ちきりんさんは、どのようにブログを立ち上げ、どんな方針で運営してきたのか。
個人で発信していく時代に、「自分メディア」を作り上げた成功例をまとめましたので、本記事にてご紹介します。
著者:ちきりん (文藝春秋)
無名の会社員からトップブロガーへ。個人の時代の“自分”の売り方。電子書籍『「Chikirinの日記」の育て方』に、ベストエントリ21本を追加。
自分メディアの立ちあげ方その1.メッセージを伝える
ちきりんさんが運営する「Chikirinの日記」は、
「ひとつのエントリでは、ひとつのメッセージだけを伝える」
というポリシーでブログを更新していると言います。少々文章が長くても、複数の事例を紹介していても、伝えたいメッセージは1エントリにつき、ひとつだけ。
ブログを書くときは「何を書くか」ではなく、「今日は何を伝えようか」という考えから始まります。ちきりんさんは「何を伝えるか」は、ぼーっとしたり、お風呂に入っていたりするときに、パッ!と思い浮かぶそうです。
つまり、ちきろんさんのブログの起点は「これについて書く」とか、「この本を紹介する」ではなくて、このことを伝えたいという「メッセージの発生」なんだそうです。
自分メディアの立ちあげ方その2.論理構成と音読感の良い文章
ブログで「伝えたいこと」を決めた後、メッセージをわかりやすく伝えるための論理構成を考えるそうです。
ちきりんさん自身のブログのイメージは「飲み会で、友達に伝えたいことを一生懸命に話している自分の声を書き起こした文章」。それは「口語文の文章化」であって、教科書的な意味で正しい日本語を使うことにこだわり持っていないそうです。
だからこそ、論理構成を整えることで、ストレートに読み手に「伝えたいこと」が伝わります。
さらに、もうひとつ気にしてるのは、なめらかに発音(発声)できる文章を書くこと。
「中身がわかっている自分がスムーズに音読できなければ、中身を知らない読者にとっては極めて読みにくくて、つっかかりの多い文章」であると言われています。書籍もブログも、最後には必ず音読し、スラスラ読めるように「てにをは」や、語彙を整えるそうです。
自分で音読し、その音を耳から脳に伝えた時、
「楽しくなれるような文書、ワクワクできたり、クスっと笑えたりする・・・」
そういう文章が「読み手にとっても楽しい文章だろう!」という考えから実践しているとのことです。
自分メディアの立ちあげ方その3.無名ブログ時代を過ごす
いきなりネット上に文章を書き始めても、読んでくれる人はほとんどいません。
ちきりんさんは「自分の日記帳なんて、自分以外は誰も読まないのが当たり前」という発想でブログを始めたらしく、自身のブログに「5人、10人」と読者が現れたことに当初びっくりされたそうです。
今やトップブロガーであるちきりんさんの「Chikirinの日記」でさえ、1年位は、1日50PV、月に1500PV程度で、うち10人位が固定読者という感じ。これは、芸能人でもない人がブログを書き始めた場合の平均的なページビューです。
※現在は1日3万PV〜10万PV
最初の3年ほどはまったく注目されず、ブログを2005年に書き始めて、人気が出たのは「2008年から2010年」にかけてなんだとか・・・。
ちょうど、その頃はTwitterが流行して、情報の拡散のスピードが格段に速くなった時期です。
地道に良質なコンテンツを積み重ねることが大切だと理解できます。
自分メディアの立ちあげ方その4.怒涛のバッシングからの急成長
「Chikirinの日記」は、2008年の半ばに大きな転換期を迎えます。
きっかけは、2007年末に書いた「伊勢神宮の式年遷宮」に関するエントリ。年始の初詣を予定している人が「伊勢神宮」と検索して目に触れたことがきっかけとなったのですが、「式年遷宮」に関して、やや砕けた内容だったことが”特定の人たち”を怒らせたそうです。
その頃はちょうど、ブログに”ブクマ”と略される「はてなブックマーク」が盛んに付けられるなった時期。その「ブクマ」を通して、「伊勢神宮の式年遷宮」のエントリに批判が集中しました。
その後も、特定のブックマーカーが「Chikirinの日記」に連日、批判とともにブックマークを付け続けたこともあり、その後は毎日のように数百のブックマークが付くようになったそうです。
その頃、大きな注目を集める記事には、いくつかのパターンがありました。
・ライフハック系と呼ばれる、生活や自己啓発に役立つノウハウのまとめ記事
・ITやガジェットに関する情報や技術関連記事
・強者が弱者をバカにしたり、切り捨てたりしているように見える記事
最後のカテゴリは叩かれることで注目される記事ですが、批判が集中し過ぎると「炎上」と呼ばれる事態になりますね。
上記のパターンを意図してブログを書いたわけではないそうですが、ちきりんさんは「弱者切り捨てに見えるエントリ」を書くことで批判と注目を呼びました。
結果として、激しいバッシングを受けながら「Chikirinの日記」のアクセス数は、急速に伸びていきました。
当時は「はてなブックマーク」が多くのアクティブユーザーを抱えていたので、”ブクマ”の数がアクセス数増加の要因となりました。次の段階では「Twitterでフォロワーが多く、影響力の大きな人」に気に入られるかどうかが、極めて重要でした。
今なら、「ネットニュースのキュレーションアプリに選んでもらえる」ような文章を書くことが重要でしょうし、来年には、「今はまだ存在しない口コミサービス」が力を持つかもしれません。
しかし、この流れを予想することは非常に難しいもの。
この状況に、ちきりんさんはこう言っています。
「結局のところ、コンテンツ製作者にできることは、そんなものに振り回されることなく、自分の書きたいことを書き続けること」
■PVの推移
2005年3月開始(この年は集計なし)
2006年:月間3千PV〜5千PV
2007年:月間4千PV〜6千PV
2008年:月間8千PV〜20万PV
2009年:月間30万PV〜60万PV
2010年:月間80万PV〜120万PV
ちきりん著書「自分メディア」はこう作る! より参照
100万PVを超えるまで、約5年の時間がかかっていることがわかります。最近ブログを書き始めた方ならお分かりかもしれませんが、今ならスマートフォンやソーシャルメディアが普及しているため、ブログを書き始めてから月間3000〜5000PVであれば、数ヶ月で超えるかもしれません。
しかし、重要なことはちきりんさんが最後に残されていた言葉。
「コンテンツ製作者にできることは、そんなものに振り回されることなく、自分の書きたいことを書き続けること」
無名の個人ブロガーが、トップブロガーになるということは、愚直に「自分の書きたいことを書き続ける」ということをし続けた結果なのかもしれません。
ちきりんさん著者「自分メディアはこう作る!」では、大人気ブログの戦略的運営記について、より詳しく記されています。個人の時代に欠かせない自分の「ブランディング術」で参考となる書籍ですので、興味のある方は参考にされてみてください。
著者:ちきりん (文藝春秋)